酵素(触媒)をイラストにして、わかりやすくしてみました。

酵素とは「触媒(しょくばい)」です。体内の触媒を酵素といいます。

「触媒」と言われると、…さらに、わからくなってしまいます。

ということで、代表的な「触媒」をわかりやすくイラストで表現しました。

 

中学生の理科の実験でご存知の還元という化学反応です。

化学反応が身体のあちこちで常に常に起こっているわけです。それを「生化学」といいます。

長岡式酵素健康法は、「応用生化学」。体内の生化学を応用して健康になるということです。

 

「触媒」というものは、出会う相手を変化させるもので、触媒そのものは変化しない。または、そのはたらきを終えたときはもとの触媒に戻るというものです。道具のようなもので、変化させるものを何度でも変化させることができるのです。

●触媒について

水素(H)と酸素(O)が結合して、水になることは誰もがご存知かと思います。

しかし、水素と酸素が出会っても、すぐに水にはなりません。

そこに大変な圧力や、高温を与えて初めて水になるのだそうです。

 

ところが、圧力や高温をかけずとも、そこに銅があると、スムーズに水へと変化させるのです。

銅は酸素と出会い酸化銅になり、酸化銅が水素と出会うと水と銅に分離されます。このようなスムーズな変化をする物質を触媒といいます。銅が触媒となり、水素と酸素をむずび付け、銅そのものは変化しないのです。このような物質が自然界にはたくさんあるようです。

 

 

 

イラストで解説 「触媒の擬人化劇場」


銅おばさん。

街でも有名なお世話好きの初老の女性。

Cu




酸子さん。

 

銅おばさんの住む街に引っ越してきた、おとなしく、可愛らしい女性。

O

酸素

 

 

 







水男さん

 

近所に住む働き者で無口な水男君。おとなしく、お友達も少ない真面目な性格。

 

銅おばさんの誘われるまま酸子さんと三人で喫茶店に入る。 

H

水素

 






H

水素

 +

O

酸素

 

水男さんと酸子さんは話が弾む中、

銅おばさんはその場を離れてゆきました。

 




HO

どうしたら、みんなが幸せになれるのか。自分にできることは何か。銅おばさんはまさにそれを生きておられるのですね。一隅を照らすという感じです。

Cu



「物質レベルの触媒」と「生物レベルの触媒」の違い、全体の恒常性への貢献

なんだ、お見合い話か?でなく、私たちにとってなくてはならない水は酸素と水素が合わさった化合物です。酸素と水素はただ出会っているだけでは一つにならないのです。それが銅のような個性が二つをつなぐのです。なんという不思議か。

若い二人を出会わせることで二人は幸せになれると直感した銅おばさんがいるからこそ、二人は結ばれたのです。

 

触媒は単純な化学反応ですが、生体内の化学反応は違います。単純そうにみえて連携があり、全体性(設計図)を常に基に変化している、高度な化学反応(生化学)。さらに、人間の出会いもお互いがお互いの触媒となっているようです。

仏教の「因縁果報」です。因とは私です。縁とは周りの人や様々な条件。因と縁と出会い果報が生まれるのです。

世界は、因縁果報によってできているようです。身体のシステムもです。酵素とは、「因縁果報」の法則ではないかと私は考えています。

私という個性は、他の人との出会いによって、引き出されます。私自身について無自覚でいると出会いに翻弄されます。私が私の個性を大切にするとき、出会うべき出会い、働くべきはたらきを選べるようになるのです。

体内の酵素がそれを示しています。

 

上記の銅おばさんのようにおせっかいやお世話にみえて、それは全体にとっての幸せや活気につながるでしょう。単なる物質レベル触媒と生体内レベルの触媒は次元が上昇しているようです。そして、さらに人間が人と出会い、考え方や生き方が変わるとなると出会いそのものが触媒です。地球に恒常性があり、身に恒常性があるように、社会や共同体にも恒常性があり、あるべき理想があります。そこに私たちは向かうことは道徳的、哲学的な青写真があるように思われます。そうすると、本やテレビやラジオやあらゆる情報が触媒となります。

 

物質レベルの触媒でなく、生物レベルの触媒、生体内の触媒から社会の恒常性に貢献する触媒が酵素、あらゆる出会いが酵素となります。テレビ、映画、漫画、書物もDVDも…です。

 

・ある方が、若いころに読んだ小説によって人生が変わったとしたら、その小説は酵素的かも知れません。

子どもの頃に〇〇になりたいと思う。その前に、モデルとなる何かに出会っている。その出会いは、酵素的です。触媒的です。そうして、私たちの人生が造られているように思います。ある方は、聖書に出会いクリスチャンになって、善行を積んで生きられた。聖書は酵素的なはたらきをしています。人を善人にしてしまうからです。

・酵素は、全体に貢献する一因子として相手を変化させる触媒だからです。

 もともと、その人(体内では細胞、一因子)が抱いている願いがあります。全体に貢献したいという意志が誰の中にもあります。生物はすべてがそれを持っていると言い切れるのではないかと思います。

 その意思を引き出し、その意志、願いを実現させるかが「酵素」「触媒」であります。

 もし、「私」が善意をもって困っている人に助けの手を差し伸べれば、社会の中の酵素的存在になります。

 もし、「私」が自分の利益のみでいかがわしい映像や情報をインターネットに流せば、癌的な存在となります。

 

※では、癌患者の皆さんは「悪意」が強い人なのかというのではありません。むしろ、おとなしくやさしく、我慢を続ける人が多いようです。誰の体内にも日々、癌細胞が生まれえては消えてゆきます。身体が弱っているとき、特に暴飲暴食、食事の偏りなどが続き、身体が脆弱になったときに、悲観や落胆、絶望的なショックにより、あきらめるような気持ちになったのがきっかけに体内の癌を見過ごしてしまったのかもしれません。癌の発症は意識と深く関連していると聞いています。けっして癌の方や病気の方の想い考えが悪いというわけではありません。ある病弱、脆弱の状態になんらかの悲しい事件がきっかけが偶然のように重なったというのが私の見解です。私たちの変化の力、酵素の力がダークサイドの力になってしまうようです。

「投げない、捨てない、あきらめない」という粘りと、必ず道はあるという希望が大切なのかも知れません。

まとめ:青写真と酵素について

たとえば、水男さんと酸子さんは、たまに街角で出会うことがあったとします。お互い、素敵な人と思ったかもしれません。でも、銅おばさんがいなければ、ふたりはすれ違いのまま。銅おばさんの「お世話」によって、二人は出会うことになったのです。銅おばさんは触媒・酵素のはたらきをしたわけです。

 

 

g水男さんにしても、酸子さんにしても結婚という青写真を持ていたのです。お似合いのカップルになることを見抜いた銅おばさん。青写真を引き出し、それを形にすることができた。これが酵素のはたらきをしていると思うのです。全体をよりよくするはたらきが酵素という体内物質。本来あるべき方向へと導こうとするのが酵素であると思います。

 

酵素とは、変化を導く体内物質ですが、変化すれば何でも酵素ではありません。

こうあるべき…こうなりたい…、という方向性を持っているのです。健康になろうとする身体の力があります。身体は健康になろうとしています。その意思によって働く体内の物質が酵素と考えています。酵素は多種多様で体内に一万くらいあると言われています。それらが、連携をとりながら身体の健康を管理しているようです。

 

酵素玄米を食べる生活をすると、慢性病もかなり改善されます。そして、年に一度程度引く風邪も大変軽い症状になります。

これが酵素の力です。おトイレも、毎日、毎日、朝あり、きちんと出てきます。それを阻むものは私たちの、好き勝手食べたいとする思いが一番大きな暗転の要因かと思います。酵素を単なる体内物質と考えると見失ってしまう「全体性への貢献」とか、「健康という青写真の具現」というものがあることも知ってくださ

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