1 医者任せにしない。自分でも考えること。
受け身でなく、その病気の意味を知る。
今は知ることができなくとも、必ず病気に意味が
あることに気付くときがくるはずです。
病気には必ず原因があるはずです。今はわからずともその原因を自分なりに探求することは大切なことかと思います。それに、自分しかわかりませんから。
病気になれば、焦ってお医者さんのお世話になり、治れば、やれやれと思い終わります。お医者さんは対処療法です。症状に対して手を打ってくださいますが、根本原因は、本人でないとわからないことでしょう。病気の原因を明確に答えるお医者さんもいますが、そうでない方もいます。自分にしかわからないことがあります。
2 その病気の専門家になるほど勉強すること。
良き友人を探すこと。
医療書。インターネット、さまざまな情報を入手し
そして、挑戦します。
病気=お医者さん。当然なことかもしれません。長く慢性病を患っているは、別のお医者さんに診てもらう、またカイロプラクティックや整体の先生など、別の角度から見てもらうことも大切でしょう。病気の方は、できる限り勉強したほうがいいというのが私の考えです。受け身でなく、積極的にその病気の中に入ってゆくことかも知れません。他人任せは混乱を生み出す可能性があります。投与された薬の内容や副作用はネットでも出ていることがあります。
3 同じ病気の人の手助けができるようになること。
病気を克服すると同じ病気で苦しむ方々との出会いが
訪れます。そのときに、あなたの克服してきた歩みが
必ずその方々のお役に立ちます。
病気の快復、もしくはその途上でいろんな方々との出会いがあるかと思います。もし、一山超えた心境を持たれたら、きっと新たな出会いが訪れるでしょう。
私たちは常識に縛られて大切なことを見失っているのです。
まず、第一に、自分で考えることをしないということ。医者任せにしていることです。病気の原因は自分の生活とその態度にあります。それを誰よりも知っている本人が他人まかせになっているとその原因はわかりません。担当医も忙しいのでその人に長時間さいたりするカウンセリングはしません。自分が自分にカウンセリングをするのが早いはず。
原因がよくわからない病気が多く、かかるお医者さんによって病名がかわることもあります。第二のお医者さんにも診断してもらうことも必要でしょう。
モノでなく闘病する姿勢そのものが病気を何よりもよくすること。結果に右往左往して、手っ取り早い、改善策を手にして、失敗となげくことがありませんように。
ニュースキャスターの筑紫哲也氏の闘病中の「多事争論」はそれを物語っています。「悪魔たちが運転する、悶死地獄行きの新幹線」で検索くさい。