難解な「酵素」

●大切だけど、わかりにくい、むずかしい「酵素」

●白米を口に入れ、何度も噛むと徐々に甘みが出てきまます。アミラーゼという酵素のはたらきで白米のデンプンを麦芽糖に変えているためです。アミラーゼとは、ジアスターゼとも言われます。このように徐々に変化を起こす体内物質が身体の中にたくさんあり、アミラーゼと単体扱いするだけでなく、「酵素」と言われます。

「水素」や「炭素」のように一つの元素でなく、触媒的な働きをする体内物質を「酵素」と呼びます。それらが、身体全体のために貢献する働きをするからでしょう。身体の設計図・青写真に従ったはたらき(※酵素は「孝」のはたらき)です。

 

実は、この酵素によって私たちは生命が成り立っているようです。「えっ」と思われるでしょうが、呼吸にも酵素が関与しています。体内のあらゆるところに酵素が関わっていて、いろんな変化を起こし、生命を維持しているのです。刻一刻と移り変わる、変化につぐ、変化を起こしていながらも、その変化は、その場、その場の行き当たりばったりの変化でなく、「こうあるべき」「こうでありたい」とする理想的身体の「青写真」にしたがうのです。それが酵素だと思います。単体の酵素ではたらくのでなく、連携で働いています。

 

食物からエネルギーを得て、活動をします。植物は光合成によって、太陽の光をエネルギーにしているのです。太陽の光は、一度植物に取り込まれ、その植物を食べることで動物はエネルギーにしているのです。大元は太陽の光が、さまざまな物質との出会いにより、人間の身体のエネルギー源となり、活動の元になっているわけです。

 

太陽の光→光合成(緑の葉に二酸化炭素)→植物の一部、実や根や樹液となり蓄積され、動物がそれを食する。動物もまた、酵素により、それらを変化させて、肝臓にグリコーゲンとして蓄積される。太陽の光が地上に降り注ぎ、個性ある物質との出会いによって、エネルギーの形を変えて、蓄積されてゆく。変化、変化、変化してゆくわけですが、その介在となる物質を酵素です。しかし、なんと不思議なことでしょうか?なぜ、このようなシステムが自然界にあたりまえのように存在しているのか。不思議であり、面白くもあります。

 

大元は太陽です。その光が地球に降り注ぎ、大海と大地に取り込まれて豊かな自然を生み出しました。人間がいなければ、どれだけこの自然界は栄えたでしょうか。ところが、人間は太陽からの惠を惠とせず、当たり前のように消費する。自分の好き勝手をするエネルギーにしているのです。果ては核戦争です。

 

・太陽:光→地球の大海、大地:植物と動物の共存→人間社会の発展とともに、闘争と破壊が大きくなる。そのために使われるエネルギー:→核実験や原発の事故や核戦争へという地球の危機→太陽系のバランスの危機…となるか。人間にしか作ることのできない調和を創造するのか。

 

●そんな身近な「酵素」ですが、あまりに身近すぎて、ありがたさなど感じられず、「酵素」そのものの存在も十分に知らずに生活を営んでいます。「酵素とは何か?」と、問われれても答えられない人がほとんどでしょう。高校生の「理科:生物」のときに習ったけど、むずかしい。そんな、印象を抱くのは、酵素は多面的な性質と多種多様な個性をもっているからでしょう。「物質」としてとらえようとする科学者(研究者)のまなざしや、「栄養素」「栄養学」としてとらえることに、どこか無理があると思っています。なぜなら、一つの酵素を調べても全体の酵素の在り方を知るのはたいへんむずかしい。なぜなら、もし酵素を自由に使いこなせるのなら、病気のほとんどが改善することでしょう。酵素がもっと、深く知ることになり、生活に役に立ち、医療で取り扱われるともっと世界は変わると考えています。でも、そうならない。物質として、単純に投与や摂取できないはずです。むしろ、何も身体に摂り入れない、断食をすることで酵素が全機するのではないかと思います。

 

●生命はモノではなく、現象です。その身体の中の現象の「主役が酵素」だと思います。「酵素とは変化です」「現象が酵素です」。酵素を物質的に調べる。試験管で調べたり、顕微鏡を覗いたり、いろいろされています。それでも十分に健康に役に立つ発見がないのは、「酵素体験」を試験者、研究者がされていないからではないかと思うのです。「酵素体験」つまり、「代謝実感」をされることで酵素を実感し発見が起こります。

研究者の立場によって見え方が少し違う。

酵素の健康体験をしないとわからない真実があります


●「酵素とは何か?」についてインターネットのウイキペディアで調べてみると、「酵素とは体内の触媒である…」等々と、むずかしい言葉が並びます。これを読んで一度で理解できれば素晴らしい頭脳の持ち主です。私は、読んでみて「なんでこんなにむずかしいのか」、と思いました。酵素を専門的に研究されている生化学者の模範解答だからでしょう。研究者、科学者のまなざしは、どこまでも物質としてとらえ研究されているように思います。ただ単に変化を起こしているのではないように思います。青写真を抱いて変化をしているというのが私の考えです。

(➡酵素は青写真に従って、変化をさせる体内物質)

※労働や運動をすることでも当然酵素は使われます。労働や運動をしないで、大食であることも酵素を使います。労働、運動をする人は健康的であり、食べるだけ食べる大食の人の方が不健康そうです。身体は怠けることと、無駄に食べることを嫌っているようです。私たちの生活にも青写真があり、適度な労働や運動と適度な食事があるようです。※好き勝手というのは、自然界では暗転するようです。

 

●立場がかわり、栄養学の先生になると、「酵素は最近、見直されてきた体内物質。5大栄養素に、新しい栄養素として加えられるべき分野です」と言われます。今までの栄養学がまだまだ主体であるという考えが優先されます。酵素は脇役の栄養素。栄養素でないのに、栄養素として取り扱うことになっていると思います。


 

●また、酵素をサプリメントとして扱う業界では、「酵素とは身体の中の大工さんのような存在で、体内に摂り入れられた栄養素(炭水化物、タンパク質、脂質…)、分解したり、組み立てたりと必要なところに設置するようなはたらき」と、やさしく、わかりやすく説明されます。「だから、酵素を日々摂るべきですよ」と継続してもらうことにつながります。わかりやすいし、効果がどうであるかを大切にしていると思います。

 

 ●学者・研究者の先生や栄養学の先生、サプリメント会社の方々…三者三様、業界によって、ニュアンスの違いがあり、様々なところで語られる酵素。宣伝されて広まる酵素の情報にまちまちな印象持ち、わりにくい印象をいだきます。

酵素体験をしていたけば、もっと酵素を理解できると思います。

 

●モノとしてとらえる考え方に馴れていて、「現象」として、とらえ方に不馴れです。まず、バランスで考えていただくとどうかと思います。酵素はあるバランスをとっているようです。均衡のとれた状態、それが健康です。でも、そのバランスが崩れるときがあります。そのとき、病的になり、弱々しくなります。病弱になるのなら、酵素を補充すればいいというモノ的に考えてしまいます。ところが、実際はそのような処方箋はないようです。また、酵素を研究しているところでも、その実証例は大々的に発表されていないようです。

もし、酵素だけで身体がよくのなら、そのような施設ができるでしょう。酵素を充実させるのは、外から摂るというよりも、何も摂らない選択がもっともふさわしいようです。体内酵素を温存するために、適切な食事、場合によっては水だけにするという方法のようなもの。身体は意志と密接につながっています。その人の生き方、「意志」と「酵素」がつながるように思えてなりません。(生活態度≒現象)ではないかと思います。

つまり、大病をしたら、生き方を変えることから始めるということかも知れません。

以下は、その説明です。