難解な「酵素」を簡単に

●大切だけど、わからない「酵素」 知りたいけど、むずかしい「酵素」

●まず、白いご飯だけを口に入れて、何度も噛んでください。徐々に甘みが出てきまます。これが酵素です。唾液の中のアミラーゼという酵素のはたらき。白米のデンプンを麦芽糖に変えているために甘み感じるのです。アミラーゼとは、「酵素」の代表格で、ジアスターゼとも言われます。このような変化を起こす体内物質が身体の中にたくさんあり、その総称が「酵素」です。酸素や水素のように一つの元素でないのです。ある働きをする体内物質を「酵素」と呼びます。

実は、この酵素によって私たちは生命が成り立っているのです。「えっ」と思われるでしょうが、呼吸にも酵素が関与しています。体内のあらゆるところに酵素が関わっていて、いろんな変化を起こし、生命を維持しているのです。変化につぐ、変化を起こしていながらも、その変化は、その場、その場の行き当たりばったり変化でなく、「こうしたい」「こうでありたい」とする「青写真」がそこにはあるのです。それが酵素だと思います。

 

●そんな身近な「酵素」ですが、あまりに身近すぎてありがたさなど感じられず、「酵素」そのものの存在も知らず、「酵素」とは何か?と、問われれても答えるに困る私たちではないでしょうか。高校生のときに習ったけど、むずかしい印象を抱くその原因は、酵素は多面的な個性をもっているからでしょう。「物質」としてとらえようとする科学者(研究者)のまなざしや、「栄養素」「栄養学」としてとらえることに、どこか無理があると思っています。酵素がもっと、深く知ることになり、生活に役に立ち、医療で取り扱われるともっと世界は変わると考えています。

 

●生命はモノではなく、現象です。その身体の中の現象の「主役が酵素」だと思います。

研究者の立場によって見え方が少し違う。

酵素の健康体験をしないとわからない真実があります


●「酵素とは何か?」についてインターネットのウイキペディアで調べてみると、「酵素とは体内の触媒である…」等々と、むずかしい言葉が並びます。これを読んで一度で理解できれば素晴らしい頭脳の持ち主です。私は、読んでみて「なんでこんなにむずかしいのか」、と思いました。酵素を専門的に研究されている生化学者の模範解答だからでしょう。研究者、科学者のまなざしは、どこまでも物質としてとらえ研究されているように思います。ただ単に変化を起こしているのではないように思います。青写真を抱いて変化をしているというのが私の考えです。

(➡酵素は青写真に従って、変化をさせる体内物質)

 

●立場がかわり、栄養学の先生になると、「酵素は最近、見直されてきた体内物質。5大栄養素に、新しい栄養素として加えられるべき分野です」と言われます。今までの栄養学がまだまだ主体であるという考えが優先されます。酵素は脇役の栄養素。栄養素でないのに、栄養素として取り扱うことになっていると思います。


 

●また、酵素をサプリメントとして扱う業界では、「酵素とは身体の中の大工さんのような存在で、体内に摂り入れられた栄養素(炭水化物、タンパク質、脂質…)、分解したり、組み立てたりと必要なところに設置するようなはたらき」と、やさしく、わかりやすく説明されます。「だから、酵素を日々摂るべきですよ」と継続してもらうことにつながります。わかりやすいし、効果がどうであるかを大切にしていると思います。

 

 ●学者・研究者の先生や栄養学の先生、サプリメント会社の方々…三者三様、業界によって、ニュアンスの違いがあり、様々なところで語られる酵素。宣伝されて広まる酵素の情報にまちまちな印象持ち、わりにくい印象をいだきます。

酵素体験をしていたけば、もっと酵素を理解できると思います。

 

●モノとしてとらえる考え方に馴れていて、「現象」として、とらえ方に不馴れです。まず、バランスで考えていただくとどうかと思います。酵素はあるバランスをとっているようです。均衡のとれた状態、それが健康です。でも、そのバランスが崩れるときがあります。そのとき、病的になり、弱々しくなります。病弱になるのなら、酵素を補充すればいいというモノ的に考えてしまいます。ところが、実際はそのような処方箋はないようです。また、酵素を研究しているところでも、その実証例は大々的に発表されていないようです。

もし、酵素だけで身体がよくのなら、そのような施設ができるでしょう。酵素を充実させるのは、外から摂るというよりも、何も摂らない選択がもっともふさわしいようです。体内酵素を温存するために、適切な食事、場合によっては水だけにするという方法のようなもの。身体は意志と密接につながっています。その人の生き方、「意志」と「酵素」がつながるように思えてなりません。(生活態度≒現象)ではないかと思います。

つまり、大病をしたら、生き方を変えることから始めましょう…ということかも知れません。

以下は、その説明です。

酵素を「酵素群」によるバランスで考える。

まず、酵素は全体として均衡がとれていると思われます。体内の維持管理と体外の環境に応じ、働くのが酵素です。

 

食事の内容によてって酵素のシフトが変わりますし、熱い寒いによっても変わります。

 

私たちは、自分自身で環境をいくらでも変化させることができます。

 

・食べたいものをセイブするか。

・身体を温めるか冷やすか。

・ぐーたらした怠けぐせ。

自由です。環境を選べます。

 

●それを乱すのは、「やりたいようにやりたい」とするわがまま、身勝手さ。

・食べたいものを食べたい。

・熱い寒いよりもおしゃれが優先。

・眠るだけ眠る

というような食事スタイルや冷えを全く無視した服装や食事の生活習慣です。

そして、怠惰もいけません。眠りたいだけ眠ると身体が弱ってきますし、ある程度の緊張感が必要なことに気づけます。


●酵素とは、こういうものであると、「小学校の6年生でもわかる」内容になるのではないかと思います。

私たちの体内のかなりの部分が酵素だと思います。酵素もまだまだ科学では解明しきれていない物質であり、働きがあるのだと思います。なぜ、そう思うのかというと、酵素の種類、数がほとんど特定されていないからです。例えば遺伝子の情報の数や長さまでわかっています。どうして、酵素は不明なのかと思うのです。人間の体内で起こる変化は大変な数にのぼるでしょう。酵素とは変化だと思います。変化あるところに酵素があります。酵素があるところに、変化があります。そのように考えています。また、一方で、酵素をあまり重視されていないのかも知れません。

 

●私たちの身体をおおう皮膚。この皮膚は様々なはたらきをしている…ある意味で臓器の一つと考えてもいいのではないか。という意見があるようです。また、血液そのものを臓器として見る…という考えもあるようです。

そう、考えると酵素の全体性を臓器的に見ることもあってもいいと思います。身体が弱っている時、酵素のバランスが崩れていると考えて、投薬を控えるというように。酵素と免疫力、自然治癒力のつながり。生命の不思議を広く知っていただくことが待たれていると思います。

 

●バイオテクノロジーとか、生命の科学、生化学とか、科学者の偉い先生がたくさん研究されています。物質レベルで酵素を解明しようとされていると思われます。それに対して私がしようとしていることは、酵素を身体に摂り入れたときの現象としての結果を知ってゆくことを大切にしています。生命の真実は、物質的な側面の探求だけでなく、人類の古くから行われていた断食、絶食の中に見え隠れする健康の法則があるのです。その真実は、酵素玄米も大きな役割を似なっていると思います。

モノとして見つめるのか、生活態度への転換、食事の転換による現象とその法則性は必ず、何らかの希望を与えてくれるはずです。

<モノの側面からの追求>と<現象としての気分や感情と食事と健康の法則の追求>という道が今はあるように思います。

 

 

・呼吸による体調の変化、身体の隅々に深い呼吸による酸素の供給です。ヨガなどがそうでしょう。

・整体、カイロプラクティクによる健康法

・気功にも可能性があります。

 

大病であるなら、上記のことを総体的に考えてゆくことだと思います。

 

心と身体のつながり。

●酵素は、ただの物質でとらえるには無理があるように思います。もっと、感情と結びつく体内物質であると思います。

たとえば、私達の意志は、何かの理由で、やる気になったり、逆に落ち込んだりします。そのとき、体調に大きな変化が起こります。「財布を落とした」と思った瞬間、血の気が引き焦り出します。あわてて探しても見つからない…となると冷や汗がふき出てきます。慌てふためき、「どうしょう、どうしょう」となります。しかし、その感情もカバンの中に財布を見つけてしまうと、焦りは消え、安堵します。

ある情報がその人の心に入り込む。先入観(思い込み)で、体調に変化をもたらす。激しい動悸、冷や汗…感情は生体は切り離すことはできません。ここに酵素が関わっていると思います。意志と身体の繫がりの中に酵素も深く関与しているのです。


●がん患者の皆様の中には、強いストレスを体験された方が多いと聞きますが、その気持に癒やしが訪れることを願いつつ、闘病されることを慎みつつ申し上げます。

私に酵素玄米ごはんの真実を伝授くださいました南まもる先生は、末期の肝臓がんが発見され、医者にも見はされた入院を拒否されたそうです。すべてをあきらめ死ぬまではたらくしない…との絶望の中で酵素玄米ごはんと出会い、酵素玄米ご飯だけを食し、一年後に担当医の前に立たれたそうです。担当医は幽霊を見る目で見ておられたそうです。そして、肝臓の細胞診をされて、ガンがなくなっていることを医師に認めさせたのでした。このようなこともあるのです。

酵素の特徴

 ●まず酵素は、環境に対してとても敏感です。当然のことながら、鈍感な身体は生命を維持できません。

変な臭いがする…危ないと感じます。変な味がする…吐きます。熱い、寒いは当然のこと。身体のある一定の状態、恒常性の保安こそが第一優先。身体においても、自我においても、私たちは自己保存の法則がはたらき、生きることが優先されています。生活環境に敏感なのは当然のことです。鈍感さは生命の危機です。食事も環境の一部です。食事の量と質は大人になればだれでも自分で管理、調整します。

 

・外気が寒くっても我慢する。➡体温を維持するのに酵素が動員される(毎日続くとそこに酵素がシフトされます)

・美味しいから食べ過ぎる。➡大量に入ってきた異物を消化が大変。(毎日続くとそこに酵素がシフトされます)

 

冷えと食べ過ぎ…これで簡単に酵素のバランスは崩れます。つまり、環境の変化に酵素が使われるというこで、そうなると他の酵素群のはたらきが手薄になてくるので、体調が変化すると考えられます。

 

●あの南方熊楠の研究した「粘菌」のような部分と全体とのつながっているのが酵素の全体像。部分、部分が様々な働き、個性をもった酵素であっても、常に全体として一つであり、全体として繫がり、補い合う関係で働き、全体と統一されているように思えるのです。

しかも、その酵素群への司令を出すのは私たちの身体の中枢にある自律神経系でしょう。それが、生活の環境の条件と私たちの生活習慣とその意識(意志や緊張)と連動していると思われます。それが、今、私が研究している酵素の「考え」です。自分の身体の健康状態の確認は常に、肉体面も精神面も含めてトータルに見てゆきながら日々の酵素チェックをしています。

医療に支配されず、医療を利用する

●病気になったら、徹底的にその病気について知ることでしょう。医師から出された薬についても、できるだけ調べ上げる。その病気の専門家のようになるべきです。お医者さんの言われたことを鵜呑みにせず…名医もヤブも見分けられないのが私たち素人です。白衣のイメージに支配されてしまいます。同じ風邪でも名医にかかれば、隠れたる病気がわかります。そうでない医者は公式どうりに薬を出すものです。難しい病気なら、当然一つの医者でなく、二つ、三つの医療機関にかかり意見を聞くことは大切でしょう。

それで、食事はどのようにすればいいか?と尋ねると紋切り口調で、「はい、バランス良く、食べて、食べ過ぎに注意してください」ということです。食事のあり方などで病気になっているのに、食事の変革は言われないのはおかしいでしょう。

 

●いろいろな医療機関を受診されれば、西洋医学、カイロプラクティック、鍼灸、整体。専門家が見るまなざしに、違いがあることきっと驚かされるはず。ということは、医療受診を受け身でするのでなく、医者に協力的に学ぶことでしょう。そうすれば、あまり上手でないお医者さんでも、患者さんの勉強と協力で病気克服へのみちをつけられるかも知れません。

 

●医療では、酵素は重要視されていません。むしろ、「何それ?」と言われます。酵素を重視するより医薬品の方を当然優先されています。それに、酵素はほとんど商売になりません。なぜなら、酵素を重視するとなると、何も摂らないほうが身体に良いという考えになるからです。

 

●酵素より、放射線治療、酵素より外科手術。そこがとても残念です。他の病気で長い年月、薬を服用されていて、身体が弱るということがあります。酵素が不足、酵素の不安定な状態です。ガンが発見され、それでも強い薬を出されたりすることを聞くと、これからの医療においてもっと酵素の研究が必要なんだろうと思うのです。

ある芸能人の奥様の手記の中で、某有名病院のがん治療において、他の病気で強い薬を投与されていたご主人に化学療法をされていることがあるのです。化学治療は健康体でもきつい薬です。そして、お亡くなりになられたのです。とても、残念なことです。人体の健康状態を酵素的にみるなら、もっと打つ手はあったと思うのです。西洋医学を中心とした医療でなく、東洋もカイロ、整体、気功も含めた何か新しい医療の形態があるのではないかと思います。そして、何よりも酵素的まなざしも。

 

酵素は語る「生命」は「現象」。

●酵素は、体内の触媒です。個性をもったはたらきをそれぞれがします。一つの酵素は一つの働きしかしません。さきのアミラーゼはデンプンの分解だそうです。そのような個性をもった酵素群が存在が、変化させ、変化させて、私たちの生命の維持と活動源となるように日々、さまざまな変化をさせるのです。しかも、全体としてある青写真を具現しています。細胞の一つ一つに組み込まれている核。その中の遺伝子の情報を表しているのです。設計図とその具現が生命であり、個性と言えるのでしょう。私達は個性の発現という現象を生きていると言えないでしょうか。私たちは、この個性を表現するために生まれ、生きているというのが私の考えです。この個性の発揮、発現というのが酵素から見えてくる生命の不思議であるとともに、現象です。

 

●太陽の光が植物の光合成により、デンプンを生み出し。それを動物が食べて身体に栄養として蓄積し、活動する。そして、その動物が食物連鎖のようにある一定の「種」のバランスを産み保つのです。

元々は、太陽という湧出するエネルギーがあるからです。地球上のあらゆる生命が太陽の恩恵にこうむります。ほんの僅かな生物が地熱をエネルギーに変換しているそうです。ですので、全てといっていいほどの生命が太陽という莫大なエネルギー源から、ほんのわずかな光が地球に注がれ、この光を基に生命の活動を謳歌し、営み、栄えるのです。(※営みという漢字も、栄えるとおいう漢字も、火を二つ冠に乗せる漢字です。先人もこにょうなところに着目していたのでしょう。)

地球は太陽の表現媒体。キャンバスなのかも知れません。そして、その絵の具は動物、植物であり、その配分、配置を決める絵筆のような存在が人間なのかも知れません。

また、地球を身体にとたえると、その酵素は人間であり、私たち一人ひとりであり、その一人ひとりには自由意志が与えられ、調和しようが反乱しようが、自由であるところに不思議さを感じるのです。

 

 

●酵素はとても不思議です。

(1)私たち人間が、他の動物と同様に、地球上の雄大な大自然とつながった存在であることを呼びかける、体内物質です。(2)さらに、私たちの深い感情とつながった体内物質でもあります。心の変化が身体に現れていると言えるのです。

 

・その一方で、その民族に受け継がれた自然で控えめな食生活。(飽食はその真逆です)

・呼吸。適度な運動(呼吸にしても運動んしても酵素を使うことになるのですが、健康維持になるのです)

・前向きな生活態度、感情、積極性や感謝とのつながりがあると思われます。(やる気、意欲が健康とつながる)

つまり、円滑な人間関係と社会の中で、自然の中で以下に調和がとれた生活をするかでしょう。

 

「満たされると、どこまでも貪り」「足りないと不満で、他人のものまで欲する」を戒めてゆく生活態度が大切だよ!と、酵素は私たちに語りかけてくれているのです。

 

 

酵素を身近に感じる方法が、長岡式酵素玄米ご飯です。